琥太朗ブログ

魂の叫びに耳を傾けちゃったり、人生の真理を探そうとしちゃったりして、世間の当たり前から離脱しちゃったでやんす……

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神社巡り 一宮 加賀国 石部神社編

 どーも、神社好きな僕です。

 

 友人が久しぶりに訪ねてきたので、また神社へ。

 

 今回行ったのは、加賀国の一宮 「石部神社(いそべじんじゃ)」です。

 ⇩記事の「加賀国 一宮 白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)」以来の神社参拝です。

www.kotaroh.net

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 加賀国には一宮が2社あるパターンです。

 白山信仰総本社である「 白山比咩神社」と今回の「石部神社」です。

 

 ということで…

加賀国 一宮 石部神社(いそべじんじゃ) 

石部神社(いそべじんじゃ)は、石川県小松市古府町に鎮座する神社である。加賀国総社であった。式内社で、旧社格は郷社。

  引用元:Wikipedia  

 場所は「 白山比咩神社」から16km程の所。

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 祭神 櫛日方別命(くしひかたわけのみこと)

『加賀國式内等舊記』などには大物主神と記されており、近世には船見山王明神と呼ばれていた。

   引用元:Wikipedia

 

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 ⇧の御由緒には

『今を去る千百六十余年前の弘仁十四年(八二三) 三月越前国から分かれて加賀国ができた。そ の府庁のあった所がこの近くである。その南 に当社がすでに祀られていたと伝えられる。 府の南にあったので府南社とも称え、この地 を府南山と号した。当時国司は、毎月一日に 加賀の主な神社八社を廻り参詣した。やがて 当社を加賀国総社とし、ここを参拝すること によって八社を廻るのに代えた当時の当社 の隆盛と規模の雄大さは、加賀国第一であっ たといわれている。
 延喜年間(九〇四)に「式内社」に列せられ、 神名帳に登録されている。安元二年(一一七六)に 国司と白山衆徒との争乱による涌泉寺事件に 関係して、神社は大きな被害をうけた。その 後往年の盛況はなく、応永二十八年(一四二一)の 足利義持判書に「南禅寺加賀国府南社御供 田云々」とある如く、南禅寺と所領争いもあ った。』

 とあります…

 

 加賀国総社として隆盛を極めた時期があり、「白山比咩神社」との一宮論争に敗れる(!?)ということもあったようです。

 ただ、『通説によると「一宮」の起源は国司が巡拝する神社の順番にある』という観点から考えると総社であれば一宮であったと言えるのではないかと思う次第です。

 

 よって、過去には「一宮」であっても、現在は「一宮」と認められていないパターンがありそうです。

 

 そんな理由もあってか、少し手入れ的には行き届いてない感が散見され...

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 手水舎(ちょうずや) に水が張ってなく、柄杓も置いてなく(写真撮ってない...)、お賽銭箱も見当たらず。

 感じることの出来る友人に「氣、感じる!?」と聞くと「......いや.....感じない......神様いないかも...」との返事w。

 まぁ、見方にもいろいろあるので「静かで、自然の成すがままで、人の手から離れ、廃れた感があるかも知れない......だが、それがいい...」っていう捉え方もありかな、とw。

 

 ちなみに社務所も無かった......ホームページも無かった...。

 いやっ!ディスってないです。

 

こちらはもう一つの加賀国 一宮 「白山比咩神社」。 

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 そして、今年の春、既に僕は加賀国 二宮である「菅生石部神社」に参拝していたんですが、「石部」が同じだし、勧請したなどの関連があるのかなぁ~と思っていたんですが、どうやら関係無さそうです...。

 こっちはホームページありました。

  しきぢ天神 菅生石部神社 加賀國二ノ宮 加賀・江沼総鎮護

 

www.kotaroh.net

  

 ともあれ、僕の一宮参拝リストを1コマ進めて、これで10社/95社となりました。

 

 今日もありがとうございました。